天満敦子バイオリニストは夫との年の差200歳⁇ 結婚や病気、プロフィールなど

天満敦子さんは「望郷のバラード」がその代名詞とも言われる国際的にご活躍されているバイオリニストです。

私自身も以前 天満敦子さんの「望郷のバラード」を聴きにコンサートへ行ったことがあります。

その深く哀愁を感じるバイオリンの音色、天満敦子さんとはどんな方なのだろうと想像しながらコンサート会場へ向かいました。

登場された天満敦子さんは想像とはいい意味で全然違いとっても親しみやすそうな女性。。。というのが単純に音楽大好きな私の印象でした。

そんな天満敦子さんのことをまとめてみました。

天満敦子さんは夫(旦那さん)との年の差は。。ええっ?200歳⁈ そもそもご結婚されているの?

東京生まれの天満敦子さんは6歳からバイオリンを始め、現在 東邦音楽大学大学院特任教授を務め、松本氏四賀音楽村村長、しおがま文化大使 もされています。

そんな天満敦子さん 調べたところによりますとご結婚はされていないようです。

なのですが。。。

実は天満敦子さんご自身が旦那さん(夫)と呼ぶ存在があるそうです。

それは天満敦子さんの愛器1735年製の「ストラディヴァリウス」です。

2012年の記事でこの旦那さん(夫)との出会いから25周年とありましたので

今(2024年)現在、 あと数年で40年ということですね。

わあ、そんなに長く連れ添っていらっしゃるのですね。

ちなみに結婚40周年は「ルビー婚」と呼ばれるそうです。

この天満敦子さんの旦那さん(夫)である「ストラディバリウス」さんは1735年製

そして天満敦子さんは1955年生まれです。

と、するとこの素敵なカップルの

年の差は?  ええっ⁈ なんと

200歳⁈

なんて。。。一瞬くだらないことを考えてしまいました。(すみません)

バイオリニストである天満敦子さん、旦那さん(夫)は愛する「ストラディヴァリウス」さんとは

なんて素敵なお話なのでしょう。

この無限なる宇宙の中、時空を超えて出逢ったんだ‼と思いを馳せてみたらなんてロマンティックなんだろうと思わずにはいられませんでした。

 

そして天満敦子さんはその旦那さん(夫)である1735年製の「ストラディヴァリウス」の音を録音しておきたいという思いから「天満敦子in無言館」というアルバムを2016年にリリースしています。

2016年当時 出会って翌年30を迎える旦那さん(夫)のために最高の場所で録音しておきたいという天満敦子さんの熱い思いが込められているとのこと。

その最高の場所と言う”無言館”は作家の窪島誠一郎が1997年長野県上田市に開館した戦没学生慰霊美術館です。

大戦によって画家への夢を断たれた戦没画学生百余名のおよそ700点に及ぶ遺作、遺品が展示されており、

建物は上から見ると十字架をかたどったコンクリート造りでヨーロッパの古い教会などを思わせる雰囲気で

センター部分の天井は10メートルにも及び残響時間は3~4秒にも及ぶ至高の音響空間といってもいい場所だそう。

天満敦子さんはここで1999年以来無伴奏コンサートを行っており今年(2024年)も10月に行われたようです。

 

天満敦子さんが病気に?

天満敦子さん 2021年秋ごろから体調不良に見舞われ翌2022年にご病気(頸椎損傷)で手術と半年近い入院生活をされていたそうです。

リハビリを重ね工夫をしピアニストに助けられ2023年一年半ぶりに紀尾井ホールでコンサートを再開しています。

病気になってバイオリンの弓が持てなくなり戸惑い消えてなくなってしまいたいと思ったこともあったとか。

望郷のバラードで有名になった当時初めて天満敦子さんというバイオリニストを知った私にとっての天満敦子さんは当時のままで、つい2~3年前にそんなご病気をされていたとはとてもショックでした。

今もリハビリを続けながら活動をされているようです。

この世に変わらないものなど無い

常に変化をしてくものなのだ。

そしてその変化の中を人々は毎日生きていくのだ。

と、この天満敦子さんのご病気とその復活のことを知りそんなことを思いました。

そして今の天満敦子さんの奏でる「望郷のバラード」を聴いてみたいと思いました。

 

天満敦子さんのプロフィールなど

ここで天満敦子さんのプロフィールなどを見ていきたいと思います。

生誕   1955年7月18日

出身地   東京都

学歴    東京芸術大学及び同大学院修了

ジャンル  クラシック音楽

職業    バイオリニスト

6歳からバイオリンを始め小学6年生の時にNHKのバイオリンのおけいこに出演しその講師の江藤俊哉先生に素質をみとめられたのがっきっかけで本格的に音楽を志します。

○○のおけいこ という番組、私も子供の頃観ていたことを思い出しました。

小学生の頃の天満敦子さんはどんな雰囲気のお子さんだったのでしょうか。

リボンを髪の毛につけた天満敦子さんを勝手に想像してしまいました。

東京芸術大学及び同大学院を修了

海野義雄、故レオニード・コーガン、ヘルマン・クレッパースらに師事。

1974年大学在学中に第43回日本音楽コンクール1位、1975年ロンティボー国際コンクール特別銀賞等を受賞、以来国際的に活躍されています。

代名詞とも言われる「望郷のバラード」はクラシックでは異例の5万枚を超える大ヒットとなりました。

その「望郷のバラード」との出逢いは1992年に文化使節としてルーマニアを訪問したのが縁となり

同国出身の薄幸の作曲家チプリアン・ポルムベスク(1853~1883年)の遺作であるこの曲の楽譜を託されたことでした。

作曲家チプリアン・ポルムベスクはウィーンに留学、しかしルーマニア独立運動に参加、投獄され29歳の若さで病に倒れその短い生涯を終えた。

「メロディーが演歌に近いようなところもあります」 と語る天満敦子さんの言葉をある記事で見つけました。

確かにそんなところも日本で大ヒットした理由の一つかもしれませんね。

演歌と言えば、天満敦子さんは小林亜星さんのバイオリン編曲版「北の宿から」など多数のコラボレーションをしており、

その集大成として「ロマンティックをもう一度」(2009年)というアルバムをデビュー30周年記念盤として発売しています。

これは天満敦子さんの熱烈なファンだった小林亜星さんと大の演歌好きである天満敦子さんが意気投合して実現したものだそう。

現在 東邦音楽大学大学院特任教授を務めていらっしゃる天羽敦子さん、そのHPにとても素敵なメッセージが載っていましたので抜粋します。

”バイオリン演奏の技術を学ぶと同時に、バイオリン音楽を通じて音楽全般を感じてください。

常にアンテナを張り巡らせて感性豊かな状態でいて欲しいです。

自分の音を身体に感じて弾く・歌う練習をしましょう。

「好きこそものの上手なれ」私は自分の弾くバイオリンが大好きです。”

 

天満敦子さんのまとめ

1.天満敦子さんはご結婚はされていないようですが、ご本人が”旦那さん”と呼ぶ存在があり

それは愛器のストラディヴァリウス(1735年製)のことだそうです。

2.天満敦子さんは 2021年秋ごろから体調不良に見舞われ翌2022年に病気(頸椎損傷)で手術と半年近い入院生活をされていた。

が、しかし周囲の方々の助けもあり復活され今もリハビリを続けながらコンサートを行っています。

3.天満敦子さんは1955年生まれで6歳よりバイオリンを始め東京藝術大学及び大学院をご卒業。

1992年にルーマニアへ文化使節として訪れたのが縁で天満敦子さんの代名詞とも言える「望郷のバラード」と出逢った。

演歌好きで作曲家小林亜星とのコラボレーション多数、アルバムも発売しています。

 

以上、天満敦子さんのことをまとめてみました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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