藤木大地(カウンターテナー)の結婚相手やご家族は?身長は?反田恭平のアニキなの⁈プロフィールなど

藤木大地さん 東洋人のカウンターテナーとして初めてウィ ーン国立歌劇場にデビューし国際的に

ご活躍されています。

私もコンサートに何度か行ったことがありますが歌っている時は誠実さと大らかさを

そして合間にお話しされている時には気さくな雰囲気を感じました。

そんな藤木大地さんの結婚相手とご家族のことや身長はどのぐらい?

そして、えっ?

あのショパンコンクールでの快挙の今をときめくピアニストの反田恭平さんの

アニキ なの?

なんてことや

プロフィールなどをまとめてみました。

藤木大地さん(カウンターテナー)の結婚相手やご家族は?

藤木大地さんの結婚相手は?と調べてみましたがご結婚はされていないようです。

1980年生まれ今年44歳の藤木大地さん私の個人的な感想としましては

かなりのイケメンでおまけにとっても気さくな雰囲気でまさにナイスガイ‼といったところです。

そんな気さくな雰囲気の藤木大地さん、周囲の方々からもとっても慕われているんだろうな?と

想像できます。

x(ツイッター)ではまさに心の内をつぶやかれていますがもちろんこれは音楽を中心に

といった印象でプライベートなことはあまり語られていないようです。

藤木大地さんは音楽家なのですから当然そうですよね。

でもそのつぶやきの中に音楽家ならでは…というものも勿論なのですが今のこの世界を生きている

人間 藤木大地さんのつぶやき…もたくさん感じられて

そんなところもまた魅力の一つだなと思ってしまいます。

 

次にご家族についてですが

お仕事などの詳しいことはわかりませんでした。

宮崎県出身の藤木大地さん。

幼稚園の年長の時にご家族のお仕事の関係で兵庫県伊丹市に半年間住んでいました。

子供のころの藤木大地さんは英語や水泳、油絵などは習わせてもらっていました。

学校以外にも色々なことを学ばせてくれる親御さんだったのですね。

けれど楽器は習ったことはなかったそう…

これは少し意外でした。

ご家族は音楽にはあまりご興味がなかったのかな?と想像しましたが…

けれどもLPはお家には沢山あったそうです。

ということはお家の中にはそのLPからの音楽は流れていたのかな?と

それはどんなジャンルの音楽だったのでしょう?

藤木大地さんを中心に今日習ってきた英語のフレーズなんぞで話しに花が咲いているご家族

お家の中にはLPから流れてくる音楽でとってもリラックスした雰囲気が溢れている…

そんな場面を勝手ながら想像?いや妄想?してしまいました。

 

そんな藤木大地さんは2017年に「みやざき大使」を委嘱されています。

そして今年(2024年令和6年)宮崎市制100周年のお祝いメッセージを寄せています。

”宮崎市で生まれ育ち18歳まで宮崎市にいました。中学高校の6年間は大淀川に架かる橘橋や大淀大橋を毎日自転車で暑い日も寒い日も学校に通っていた。”

”宮崎に帰り大淀川を見る帰ってきたなと思う” と。

そして

”宮崎の人はとっても心があったかくてのんびりしていてリラックスする”

”とても落ち着いた気分になるとそういう癒し効果が宮崎市にはあるのではないかと思っている”

と。

う~ん、そうか藤木大地さんのなんとも言えない気さくな雰囲気は生まれ育った宮崎そのものなんですね。

一方、幼稚園のころ半年間だけ住んでいた伊丹市についても一つご紹介しますと

ちょうど藤木大地さんが伊丹に住んでいた1985年は 阪神タイガースが優勝した年 で

そこで大の阪神ファンになったとか。

大きくなったらプロ野球選手になりたかったそうですがその夢はこの伊丹市に居たころに出てきたのかもしれませんね。

宮崎の あったかくてのんびり と 阪神タイガースファンの熱い雰囲気(←私個人の印象ですが)と 子供の頃に身を置いた土地のそういう空気感が藤木大地さんの今の雰囲気の根幹にあるのかもしれませんね。

藤木大地さん(カウンターテナー)の身長はどのぐらい?

藤木大地さんの身長を調べてみましたがはっきりと記されたものは見当たりませんでした。

ですが、調べていく中で狂言師の野村萬斎さんと一緒に写っている写真をみつけました。

その写真ですと野村萬斎さんのほうが若干高いかな?といった風に見えました。

野村萬斎さんの身長は174センチとプロフィールにありましたので

藤木大地さんも大体170センチ前半ぐらいなのかな?と推測いたします。

ところで狂言師の野村萬斎さんとクラシック歌手の藤木大地さん

同じ芸術の世界とはいえこのお二人のご一緒の写真はどうして?ということなのですが、

2023年に野村萬斎さんがオペラを初演出された《こうもり》に藤木大地さんもキャストとして出演された時のものでした。

オルロフスキー侯爵役の藤木大地さん

”カウンターテナーが演じる、ということにフォーカスが当たりがちだと思いますが、今回はそこではなく

『藤木大地というひとりの人間が演じる』という点に注目していただけたらと思います。”

と、同公演の記者会見でお話ししています。

まさに! 人間 藤木大地

上述しましたようにそのお人柄があってのこのお言葉という感じがします。

私は藤木大地さんの歌のコンサートには行ったことがあるのですがオペラ自体ほとんど観たことがありません。

でもこの記者会見の記事を読んで 確かに! と思いました。

歌のコンサートも勿論素晴らしい体験だけれども オペラ鑑賞というのはさらに人間 藤木大地を垣間見ることができるのかな?と思いました。

そして野村萬斎さんの狂言についてもなんとなく興味はあっても観たことはないなと思いましたら…

なんと藤木大地さんも野村萬斎さんとのこの共演がご縁で はじめての狂言鑑賞をされたとのこと。

”40代までこの日本文化を観てこなかったことがくやまれる!また絶対いく!積極的にいく!みんなも!”

とつぶやいていらっしゃいました。

”みんなも!”

だなんて藤木大地さんい言われてしまったら 私も行こうかな という気持ちになってしまいました。

 

藤木大地(カウンターテナー)さん えっ⁈あの反田恭平さんのアニキなの⁈

そう、藤木大地さんのことをアニキと呼ぶその人は2021年のショパンコンクールで第2位入賞

今や本当に国際的にも大注目されているピアニストでもあり実業家でもある

あの反田恭平さんです。

ご存知の通りお二人は兄弟ではありません。

では、藤木大地さんと反田恭平さんとの出逢いは? といいますと

それは 2012年の日本音楽コンクール。

その翌年の受賞演奏会ツアーで全国を共にまわったのが知り合ったきっかけです。

当時反田さんは10代の高校生、藤木大地さんは30代です。

高校生から見たら10歳以上も年上の30代の男性はどんな風に見えていたのですかね?

年の離れた頼れるアニキといった印象だったのでしょうか?

あるインタビュー記事で反田恭平さんが藤木大地さんのことを

”かつて一緒にツアーをしたときにきちんと裏側のことを考えている人だと思いました。

アニキの背中を見てきたから今の自分の活動があると思っています。”

と、語っていました。

さすがっ反田恭平さん!見ているところが違います。

やはり素晴らしい方には素晴らしい方の素晴らしさがわかるものなのですね。

私はこの アニキ と呼んでいるということを確かお二人が出演されたラジオ番組で聞きました。

その時、なんて素敵な間柄なんだろう と思いました。

クラシックという言葉の持つなんとなく畏まった感のあるイメージから少し外れた感じがしてそれがとても新鮮だったのを覚えています。

反田恭平さんは 藤木大地さんのことを アニキ と呼び尊敬している。

一方の藤木大地さんはそんな反田恭平さんのことを

”歳の離れた友だち”

”彼は未来から来たのかも…

このドラえもんはもう見てきた未来から逆算して再来年ぐらいを生きている。”

と、お互いに尊敬しあっているこの関係 ステキですね。

 

将来は学校を作りたい という反田恭平さん それは彼が50代のころコンプリートできるそう。

その暁には 70代になっている アニキ である藤木大地さんを名誉教授でお迎えするとか

そんなお二人の会話を見つけました。

それは30年も先のこと、この先もずっとアニキ と 歳の離れた友達 の関係は続いていくのですね。

 

藤木大地さん(カウンターテナー)のプロフィールなど

生誕 1980年1月17日(44歳)
出身地 日本の旗 日本 宮崎県
学歴 東京藝術大学音楽学部声楽科テノール専攻
ウィーン国立音楽大学大学院文化経営学研究所
ジャンル クラシックオペラ
職業 カウンターテナー歌手
担当楽器 声楽カウンターテナー
活動期間 2003年 – 現在
レーベル ワーナーミュージック
King International

 

東京藝術大学音楽学部声楽家をテノールとして卒業しました。

2003年に新国立劇場 オペラ『フィガロの結婚』のドン・クルツイオ役でデビュー。

その後、テノールとしてイタリアへ留学

ラ・ボエーム、トゥランドット、トスカ そして パヴァロッティ などが好きでイタリアへの留学を目指して早くからイタリア語を勉強していたそうです。

そして30歳の時 ウィーンの大学へ進みました。

イタリアに留学中ウドイツの劇場に手紙と履歴書を70通ぐらい送りましたが返事が来たのは

2~3通でした。

それでも諦めきれず 夢を追うのは30歳までと背水の陣 という気持ちで ウィーンの大学へ進んだのです。

そのウィーンに留学中の2011年 風邪をひいたまま練習した際に裏声で歌ったのがきっかけでカウンターテナーへ転向。

”この声すごくいいんじゃない?”

と、その時思ったそうです。

”裏声だとリラックスした気持ちで歌えた。”

”自分という楽器はカウンターテナーだと気づいた瞬間だった。” と。

なるほど‼声楽家にとっては自分自身が楽器なのですね。

そしてこれがカウンターテナー藤木大地さんの誕生の瞬間だった のですね。

その6年後の

2017年 日本人カウンターテナーとして史上初めてウィーン国立歌劇場にデビューをされました。

ここで、あらためて カウンターテナーとは? と調べてみますと

カウンターテナーcountertenor)は、西洋音楽における成人男性歌手のパートの一つで、女声に相当する高音域を歌う。カウンターテノールともいう。

ということです。

確かに、藤木大地さんの歌声はいわゆる男性オペラ歌手の力強い歌声とは異なり

ふわ~っとしていて包み込まれるような感じを私は受けました。

そんな藤木大地さん、合唱に興味が湧いたのは小学校時代だったのですがほぼ女子ばかりの合唱部に入りたいとは言えずに終わってしまったそう。

その合唱部には ”たまに男子もいて、仲いい子たちも参加していて羨ましかった” と。

自分も入れてとなかなか言い出せない…

ああその気持ちなんだかよく分かる と親近感が湧いてくるエピソードだなと思いました。

そして宮崎大学教育学部附属中学校では念願叶って(?)昼は合唱部、夜は野球部という生活でした。

合掌部では重宝され、音楽の時間に先生から 声がいい と言われたのが入部のきっかけでした。

中学時代にNHK全国学校音楽コンクール・全日本合唱コンクールにて全国大会へ出場しています。

そして宮崎県立宮崎大宮高等学校入学後にテノールとして声楽を始め

大学で声楽を学ぼう と決心し東京藝術大学へ進学。

卒業後は新国立劇場オペラ研究所へ

そして上述の通り イタリア~ウィーンへの留学と続いていきます。

洗足学園音楽大学客員教授

横浜みなとみらいホール初代プロデューサー(2021~2023)

大和高田さざんかホール レジデント・アーティスト(2024)

みやざき大使

等、プロデューサーや教育、また執筆やインタビュアーなどでもご活躍されています。

 

「良い声を出すために気をつけていることは?」との問いに藤木大地さんはこう答えています。

”ハッピー生きていたほうがいいですよね。声の芸術なので精神状態が直に出る。”

”心から歌いたいと思えるような生活というか人生を送ることが大切だと思います。”

藤木大地さんにとって まさに歌は人生そのもの なんだなと思いました。

 

藤木大地さん(カウンターテナー)のまとめ

1.藤木大地さん(カウンターテナー)の結婚相手やご家族は?

ご結婚はされていないようです。

ご家族のお仕事など詳しいことはわかりませんでしたが

幼稚園の年長の時にご家族のお仕事の関係で兵庫県伊丹市に半年間住んでいました。

子供のころは英語や水泳、油絵など色々な習い事をさせてくれた。

家にはLPがたくさんあった けれども楽器関係の習い事はなかった。

 

2.藤木大地さん(カウンターテナー)の身長はどのぐらい?

はっきりと記されたものは見当たりませんでしたが

狂言師の野村萬斎さんと一緒に写っている写真から大体170センチ前半ぐらいなのかな?と推測いたします。

 

3.藤木大地さん(カウンターテナー)て えっ⁈あの反田恭平さんのアニキなの⁈

ご存知の通りお二人は兄弟ではありませんが反田恭平さんは藤木大地さんのことを

アニキ と呼んでいます。

2012年の日本音楽コンクール その翌年の受賞演奏会ツアーで全国を共にまわったのが知り合ったきっかけです。

 

4.藤木大地さん(カウンターテナー)のプロフィールなど

1980年1月17日 宮崎県生まれ

カンターテナー歌手

東京藝術大学音楽学部声楽科テノール専攻

ウィ―ン国立音楽大学大学院文化経営学研究所

2011年ウィ―ン留学中に風邪をひいたまま練習したことがきっかけでカウンターテナーへ転向

2017年 日本人カウンターテナーとして史上初めてウィーン国立歌劇場にデビュー。

洗足学園音楽大学客員教授

横浜みなとみらいホール初代プロデューサー(2021~2023)

大和高田さざんかホール レジデント・アーティスト(2024)

みやざき大使

等、プロデューサーや教育、執筆やインタビュアーなどでも活躍中。

 

以上、藤木大地さん(カウンターテナー)についてまとめてみました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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