樫本大進の子供や妻は?両親は?プロフィールとドイツ留学時代とベルリンフィル

樫本大進さんバイオリニスト、世界最高峰のベルリン・フィルのコンサートマスターを2010年より務めています。

ロンドン生まれ、3歳からバイオリンを始めドイツ在住です。

その樫本大進さんの子供さんは?妻はどんな方?ご両親はどんな方々なの?そしてプロフィールとドイツ留学とベルリンフィルのコンサートマスターなどをまとめてみました。

樫本大進に子供はいるの?

樫本大進さん、子供さんはお二人いらっしゃいます。

ご長女とご長男お二人ともベルリン生まれのベルリン育ち、そして樫本大進さんの妻も音楽家で

マリンバ奏者の出田りあ(いでたりあ)さんです。

ご夫婦とも音楽家の音楽一家、やはり子供さん達も音楽がお好きだそうです。

樫本大進さんの演奏されているベルリン・フィルのライブ配信を、毎月子供さん達は聴いて、歌って、楽器の当てっこをしたりして楽しんでいると、ある記事の中で彼らの母親であるマリンバ奏者の出田りあさんが仰っていました。

子供さん達はお父さん達の演奏を聴いて一緒に楽しんでいるのですね、素晴らしい音楽を聴いていると自然と一緒に歌いたくなる。。。そんな感じなのでしょうか。

そして、楽器の当てっこ‼

わあ、なんだかとっても楽しそうな遊びですね。

子供という生き物は、なんでも面白がって楽しみを見つける天才だなあとつくづく思います。

そして、お父さんだけでなくお母さんである出田りあさんのリハーサルを見て、練習している曲を聴いて、この曲好きと言って、歌ったり踊ったりしているそうです。

歌うだけでなく踊ったりする。。。身体が自然と動くといったところでしょうか?

楽しそうですね、いつも音楽のある空気感、とっても軽やかで華やかでキラキラしていて。。。  そんな言葉がどんどん浮かんできます。

樫本大進さんと出田りあさんのお家の扉を開けると、音符が空中に浮いていて踊っている。。。そんな光景が目に浮かんできました。(勝手な妄想です。。。)

そういう空気感の中で育つ子供さん達はどんな風に成長されていくのかな?と想像してしまいます。

そんな風に音楽に溢れているご家庭で、出田りあさんは母親として子供さん達と音楽について、

どんな感じで関わっているのかな?と思いました。

上述の記事の中で、出田りあさんはこんなことを仰っています。

ピアノを習っているご長女に対して

”ピアノの楽譜はあんまり読めない”ということを貫き通し、”私から教えることは絶対にしないようにしています” と。

出田りあさんは、子供さん達に音楽家になってほしいとは思ってはおらず、音楽をさせないようにしていたとのこと。

プロの音楽家として、そして一人の母親としての重みを感じるお考えだなと思いました。

”でも、子供達が「本気で音楽をやりたい」と言った時は反対せずに応援します。

子供とは一人の人間として対等に向き合いたい。

あなたがどうしたいのか考えてと、伝えていきたいと思っています。” とも。

う~ん、ここはもう音楽家や母親という域を超えて、子供さん達の人生を俯瞰してみるといった心境なのかなと思いました。

音楽家同士のご夫婦ですが、

”子供さん達への音楽教育は何もしていない” そうで、

父親の樫本大進さんも

”自然派、その時々に本人たちがやりたいことをやらせてあげたい” と語っています。

自然派‼のびのびとした雰囲気が伝わってきますね。

 

そして、子供さん達はドイツ語がお上手で、出田りあさんからするとそれは「羨ましいほど」だとか。

「ママ、変な話し方だよ」と発音を注意されることもあるそうです。

うふふ、と思わず微笑んでしまいそうな楽しいエピソードですね。

子育てにはご夫婦で協力しあって関わり

”いつも夫婦で「私はこれをやるから、あなたはこれを!」って、バトンを落とさないように必死にリレーしているような生活。” と出田りあさん

ご夫婦とも音楽家として飛び回っている中で、まさにバトンとは上手い表現だなと思いました。

出田りあさんが演奏のお仕事で出かける時は、樫本大進さんが子供さん達の面倒をみています。

そんなある時、ある事件⁈が起きたとか。

ぐずってなかなか寝てくれないご長女に、かまわず知らんぷりをしたところ。。。

静かになったと思ったら??

顔中血だらけ! だったそうです。

驚いた樫本大進さん、オペラの仕事で不在中の出田りあさんに

”どうしよう、大変なことになった!” と、声も電話を持つ手も震えながら。。。電話を掛けたそう。

そして、二人で話しているうちに鼻血が出ただけだったとわかったそうです。

鼻血だったんですね。よかった~。

この事件⁈で、学んだおかげで、それからは子供さん達に何があっても動じなくなったそうです。

ドシッと構えた父親樫本大進さんの誕生、といったところでしょうか。

そんな中、2020年からのロックダウン中には生活が一変し、一日中家族で一緒、朝昼晩と食事も一緒、絵本の読み聞かせも父親である樫本大進さんがしてくれる、そんな生活が子供さん達にはとても新鮮だったようです。

子供さん達にとっては、パパもママも一緒でみんな揃ってお家でご飯を食べたり遊んだり、それはそれは楽しかったことでしょう。

”パパ、まだおうちにいるの?”と、何度も訊いていたそうです。

可愛らしいエピソードですね。

そして、子供さん達と相撲を取ったり、ベランダに砂場を作って泥んこ遊びをさせたり、アンパンマンのメロディーを弾いてあげたりしたそうです。

おお、ベルリン・フィルのコンサートマスターの弾くアンパンマン‼私も聴いてみたいです。

 

また、子供さん達は、お父さんのお仕事のことをよくわかっているようで

例えば、別の人がコンサートマスターを務める時に、樫本大進さんがその横で弾いているのを見て

ご長女は”パパどうしたの?いるところがいつもと違うよ!” と言って大騒ぎだそうです。

子供さん達は、何も教えなくても親のことをちゃんと見ている、ビックリするぐらい沢山のことを吸収しているんだなと思いました。

パパもママも、そして子供さん達もご長女さんが弟さんの面倒をみたりと、皆で協力してお互いを気にかけている、そんな雰囲気が伝わってきて、とっても素敵なご家族なんだろうなと想像します。

 

樫本大進の妻はどんな方?

上述しましたとおり、樫本大進さんの妻はマリンバ奏者の出田りあ(いでたりあ)さんです。

お写真を何枚か拝見しましたが、スッとした感じでとても雰囲気のある素敵な方だなと、思いました。

1982年オーストリア・ウイーンに生まれ2歳より熊本県に住み、6歳からお父様の勧めでマリンバを始めました。

お父様は平成音楽大学の学長 出田敬三氏です。

1982年オーストリア・ウィーンに生まれ、2歳より熊本に住む。

6歳でマリンバを始め18歳で渡仏。

パリ・コンセルヴァトワール、ストラスブール・コンセルヴァトワール・ソリストコースを首席で卒業。

2003年第1回パリ国際マリンバコンクールで第1位を受賞。

世界各地で行なわれている音楽祭に数多く出演、オーケストラとも数多く共演している。

平成音楽大学客員教授。2021年1月よりロンドン芸術アカデミー(LPMAM)客員教授就任。ベルリン在住。

出田りあさんと樫本大進さんお互いにプロの音楽家のご夫婦、世界各国で公演がある為、お二人が一緒にベルリンにいらっしゃるのはひと月に一週間ぐらいだそうです。

ひと月に一週間でしたらその時間は本当に貴重な時間、プロの音楽家というものはまさに世界中を飛び回っていらっしゃるんですね。

あまり一緒に居られないからこそ夫の樫本大進さんのコンサートを聴きに行く時間を大切にしていると妻の出田りあさん。

そして夫の樫本大進さんも妻の出田りあさんのコンサートへと、お互いのコンサートを聴きあっているそうです。

”世間からの評価ではなく、相手の仕事ぶりを自分の目で見て、耳で聴いておきたい。

評価しあうわけではなく、今、どんな音を奏でているのか知っておきたいんです。”

と、仰る妻の出田りあさん。

これは、妻として、そして同じ音楽家として、さらに家族としての深い言葉だなと思いました。

さらに妻の出田りあさんは、

”毎朝一緒にご飯を食べている夫婦なら、今日は箸の進みが遅いな、食欲がないのかなと確認できる。

それと同じでで、演奏を聴くことで音楽家同士だからこそ意識しあえる部分があると思っています。”

と、話しています。

そして

”音楽は彼の一部なので”

と、夫である樫本大進さんのことをそう仰る妻の出田りあさん。

なんて素敵な表現なのでしょうか‼

よく、○○は私の一部なので。。。と自分のことを表現することはあると思うのですが、

音楽は「彼」の一部なので、とはこのご夫婦の関係性を物語っているなと思いました。

そして妻の出田りあさんからみた樫本大進さんのお父さんぶりは120点だそうで、

共同作業として一緒に子供を育てているという実感があるとお話しされています。

妻と夫として、母親と父親として、そして音楽家同士としてもお互いに尊重しあっているそして二人の子供さん達と家族としての生活も全てこのご夫婦の人生なんだなと思いました。

 

樫本大進の両親はどんな方々?

父親は、樫本同(ひとし)さん愛媛県のご出身、母親は、樫本潔子(きよこ)さん兵庫県赤穂市のご出身です。

父親の同さんは重機械メーカー(住友重機械工業造船部門)に勤務されており、海外赴任先のロンドンで樫本大進さんは生まれています。

このご両親、父親の同さんと母親の潔子さんの出逢いが、とても素敵なのです。

1968年の春3月17日、お二人の出逢いは電車の中、兵庫県の赤穂線の車内で隣り合わせになったことから始まりました。

当時の同さんは20歳の神戸大生、潔子さんは18歳で東京の音大への進学が決まっていました。

わあ、それでそれで?と続きが知りたくなるような始まりですね。

その車内で貧血を起こした潔子さん、

その潔子さんに同さんが「席があきましたよ」と声を掛けたそうです。

そこから自然と会話がはずみ、同さんが降車前に、潔子さんへ連絡先を訪ねたそう。

もうこの出逢いだけで、朝ドラになってしまいそうなキラキラしたエピソードだなあと、思いました。

樫本大進さんの子供の頃のご両親との家族写真を見つけたのですが、ご両親共とても品のある雰囲気を感じました。

この品のあるお二人の、もっともっとお若い頃の初々しい感じ、電車の窓から差し込む明るい陽射し。。。そんなシーンを妄想してしましました。

そして同さんは神戸から、潔子さんは東京から、手紙のやりとりが中心の遠距離恋愛が始まり、この出逢いから10年、1977年にお二人はご結婚されます。

新婚生活は同さんの赴任先のロンドンから始まりました。

しかし結婚までに順調にことが進んだわけではなく、潔子さんの厳格なお父様は猛反対だったそうです。

その頃のことを潔子さんはこう語っています。

”卒業で赤穂に連れ戻されることになったときには、駆け落ちしましょうとお誘いしました。

結婚するならこの人しか考えられないと、その頃憧れていた修道院に入れていただく勉強をはじめようと思ったこともあります。” と。

なんて、情熱的で一途な女性なのでしょう。

本当に人生を掛けた恋愛とは、こういうことを言うのだろうと思わされました。

そしてこのロンドンで樫本大進さんを授かり、潔子さんは赤ちゃんの大進さんが子守唄をハミングするような声を出すのを

”毎朝、大進の歌で目覚める時、大きな幸せを感じるようになりました” と、

こんなふうにおっしゃっています。

情熱的な恋愛から、今度は大進さんが生まれその新しい生活の穏やかな空気感を感じます。

父親の同さんの”人生は偶然の積み重ね”とのお言葉がありました。

よくこの言葉を耳にしますが、まさにこのご両親の出逢いから始まった樫本家の人々の人生そのものを表しているなあと思います。

樫本大進さんはお母様のご出身地である赤穂市と、姫路市で室内楽の「ル・ボン国際音楽祭」をしています。

 

樫本大進のプロフィールとドイツ留学時代

樫本 大進(かしもと だいしん)バイオリニスト

”ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団第1コンサートマスター。ドイツ在住。ベルリン・フィルのコンマス就任前の、各種コンクールでの受賞歴や、ソリストとしての演奏活動でも広く知られる。

”フリッツ・クライスラー国際コンクール第1位そして、ロン=ティボー国際コンクールでは、史上最年少で第1位を獲得など、数々の権威ある国際コンクールにて優勝。”

使用楽器は、1744年製デル・ジェス「ド・ベリオ」株式会社クリスコ(志村晶代代表取締役)より貸与。”

生誕     1979年3月27日(45歳)
出身地    日本
ジャンル   クラシック音楽
職業     バイオリニスト
担当楽器   バイオリン
レーベル   ソニー・ミュージック
配偶者    出田りあ (マリンバ奏者)

”住友重機械工業造船部門に勤務していた父親の赴任先であったロンドンで生まれた。

3歳からバイオリンを始め、7歳でジュリアード音楽院プレカレッジに入学。

11歳の時にドイツの名教授ザハール・ブロンに招かれ、リューベック音楽院に留学。”

ニューヨークに住んでいた9歳と10歳の夏、見聞を広められるようにと欧州の様々な先生のマスタークラスに通っていたとのことです。

そんな環境を与えてくれたご両親、素敵な考え方ですね。

樫本大進少年はその素晴らしい環境の中、どんな目?耳?でその世界に溶け込んでいったのでしょうか?

名教授ザハール・ブロンは、その様々な先生方の中の一人で、「俺のところについてこい」と言われたと。

このザハール・ブロン教授の目というか、この場合は耳というのでしょうか?に樫本大進少年はどのように映った?聴こえたのでしょうか、お話しをうかがってみたいななんて思いました。

そして11歳の樫本大進少年のドイツでの新しい生活が始まりました。

ザハール・ブロン教授の住むリューベックは、英語も通じないような片田舎だったそうで、しかもその当時はちょうど1990年の東西統一直後だったとのこと。

お父様お仕事があったため、離れてお母様と二人での新生活が始まったのは、11月の終わりから始まり、月を見ながら学校に通ったそうです。

第三者目線からですと、月を見ながら。。。だなんてちょっと神秘的でステキ‼と思ってしまいますが、樫本大進少年は、”寂しい感じがした” のだそう。

ザハール・ブロン教授の元へはほぼ毎日通い、時には一緒に外出もしていたと。

11歳から19歳までをリューベックで過ごしたという樫本大進さん、その間にはバイオリンを辞めたいと思ったこともあったようです。

ほぼ毎日教授の元に通い毎日毎日バイオリン、バイオリンというの日々だったのかなあ?とそんな生活の中で辞めたいとお思いになったのでしょうか?

当時の樫本大進さんの心の内を想像してしまいます。

そして、樫本大進さん20歳より、フライブルク音楽大学でベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターを務めていた、ライナー・クスマウル氏に師事します。

このライナー・クスマウル氏は、”自分で考えて、自分の道を行きなさい” というタイプの先生で、技術的なことよりも音楽的なアドバイスをしてくれたそうです。

う~ん、深いお言葉ですね。

このライナー・クスマウル氏のお言葉を聞いて、「守破離」という言葉を思い出しました。

樫本大進さんのバイオリン人生が、これからは「破」の段階に入って行き、そしていずれ「離」へと変化して行くんだよと教えてくれているかのような。。。そんな印象を受けました。

 

樫本大進とベルリンフィル

2005年より本格的なプロ活動に入り、日本でリサイタルツアーを行います。

ドイツを拠点にソリストとして世界の舞台にて演奏する傍ら

2010年ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の第1コンサートマスターに正式就任しました。

ベルリンフィルのコンサートマスターは安永徹の後任として日本人として史上2人目です。

樫本大進さんからみたベルリン・フィルハーモニーは、

”いろんな顔があるオーケストラですね。ひと昔前の音も出せるけれど、ハイスペックなスポーツカーみたいな音も出せる。”と、

お話しされていました。

歌唱で言いますと、仮称民謡みたいな発声もできるし、電子加工されたような声も出せるみたいな感じなのでしょうか?(例えが今一つでしたらすみません。。。)

オーケストラのメンバーであるということで、色々な曲を弾き、素晴らしい指揮者やソリストとの共演をし、それはメリットしかないとのこと。

”オケとソリストの両方をできるのは、曲を理解して演奏する上で本当にラッキーなことです。”と

語る樫本大進さん。

懲りずにまた歌唱で例えてみますと、ソロでコンサートを行う時と、ミュージカルで舞台に立つ時、みたいな感じなのでしょうか。

ありきたりな感想になってしまいますが、協奏曲でオーケストラとソロで音を奏でるのと、そのオーケストラの一員として音を作り上げていくのと、違ったアプローチの仕方があるのかな?と想像します。

オーケストラという大人数の中で、人と人との関わりから人間的な幅が広がると共に、音楽の幅も広がっていくのかなと思いました。

 

そしてお母様の故郷である兵庫県赤穂市と、姫路市でル・ポン国際音楽祭 赤穂・姫路を開催しています。

”ル・ポンとはフランス語で架け橋を意味し、人と人、国と国とを音楽で結ぶ「架け橋」、平和の尊さとこれを未来に引き継いでいくことの大切さを全国に発信する「平和の架け橋」”

お母様の故郷である赤穂市へは幼い頃から毎年のように訪れていたそうです。

海外で育った樫本大進さんにとっては赤穂市は日本とご本人を結ぶ「ル・ポン」なのかもしれないなあと思いました。

日本と言えば、日本語ですが、海外で育った樫本大進さんにとって、

”日本で演奏活動を始めたころはインタビューを受けるのが怖くでたまらなかった”と、語っています。

例えば、街で外国人観光客から道を尋ねられたりすると、ドキッとしてしまう等と聞いたりしますが、その逆バージョンといったところなのでしょうか。

インタビューする方は、樫本大進さんは日本人なので当然、と思って日本語で話しかけてしまいますものね。

2017年(平成29年)3月には、第39回・姫路市芸術文化賞を受賞しています。

 

今年2025年でコンサートマスターに就任して15年目となる樫本大進さん、今ではコンサートマスターの中で一番のベテランとなったそうです。

10年ひと昔と言いますが、それ以上の15年、もうそれだけで素晴らしいことですね。

”15年の間に僕がベルリン・フィルのメンバーをよく知るようになり、彼らの音楽の作り方にも慣れてきましたし、みんなも僕に慣れてきたので、その分ステージは楽になってきました” と語ります。

メンバーの方々とこのような関係になったというのは、言葉ですと簡単に言えてしまいますが、本当に年月を積み重ねてきたからこその関係性なんだろうなと思いました。

そしてこれからも。。。

 

樫本大進のまとめ

1.樫本大進に子供はいるの?

子供さんはお二人いらっしゃいます。

ご長女とご長男、お二人ともベルリン生まれのベルリン育ち、ドイツ語がとてもお上手で、

「ママ、変な話し方だよ」と、母親である出田りあさんの発音を注意することもあるぐらいだそう。

子供さん達も音楽がお好きだそうでが、母親の出田りあさんは、子供さん達に音楽家になってほしいとは思ってはおらず、音楽をさせないようにしていたとのことです。

 

2.樫本大進の妻はどんな方?

樫本大進さんの妻はマリンバ奏者の出田りあ(いでたりあ)さんです。

1982年オーストリア・ウイーンに生まれ2歳より熊本県に住み、6歳からお父様の勧めでマリンバを始めました。

お互いにプロの音楽家のご夫婦、世界各国で公演があるためお二人が一緒にベルリンにいらっしゃるのはひと月に一週間ぐらいだそうです。

あまり一緒に居られないからこそ夫の樫本大進さんのコンサートを聴きに行く時間を大切にしていると。

 

3.樫本大進の両親はどんな方々?

父親は、樫本同(ひとし)さん愛媛県のご出身、母親は、樫本潔子(きよこ)さん兵庫県赤穂市のご出身です。

父親の同さんは重機械メーカー(住友重機械工業造船部門)に勤務されており、海外赴任先のロンドンで樫本大進さんは生まれています。

1968年の春、父親の同さんは20歳の神戸大生、一方東京の音大への進学が決まっていた潔子さんは18歳、お二人の出逢いは電車の中、兵庫県の赤穂線の車内で隣り合わせになったことから始まりました。

潔子さんの厳格なお父様の猛反対に合い ”駆け落ちしましょうとお誘いしました” と潔子さん。

情熱的な恋愛の末ご結婚されたのですね。

 

4.樫本大進のプロフィールとドイツ留学時代

樫本 大進(かしもと だいしん)バイオリニスト

”1979年3月27日(45歳)

父親の赴任先であったロンドンで生まれた。”

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団第1コンサートマスター。ドイツ在住。

ベルリン・フィルのコンマス就任前の、各種コンクールでの受賞歴や、ソリストとしての演奏活動でも広く知られる。

11歳の時に、ドイツの名教授ザハール・ブロンに招かれ、リューベック音楽院に留学。

その後20歳より、フライブルク音楽大学でライナー・クスマウル氏に師事。

 

5.樫本大進とベルリンフィル

2005年より本格的なプロ活動に入り、日本でリサイタルツアーを行う。

ドイツを拠点にソリストとして世界の舞台にて演奏する傍ら

2010年ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の第1コンサートマスターに正式就任。

ベルリンフィルのコンサートマスターは安永徹の後任として日本人として史上2人目。

使用楽器は、1744年製デル・ジェス「ド・ベリオ」株式会社クリスコ(志村晶代代表取締役)より貸与。

 

以上、樫本大進さんについてまとめてみました。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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